2012年12月5日水曜日

カント・オスティナートについて向井山朋子に聞く Q&A


MULTUS #1「人生を変えてしまうメロディー」
カント・オスティナートについて向井山朋子に聞く Q&A

—— オランダに活動拠点を持つ向井山さんですが、近年の日本での活動は?
 最近ではこの秋に「青山ダンストリエンナーレトーキョー2012」で、二年がかりで製作したダンス作品『シロクロ』を発表しました(http://datto.jp/artist-tomoko-mukaiyama)。振付家のニコル・ボイトラーと今回の『カント・オスティナート』の照明インスタレーションもお願いしているジャン・カルマンとの共同制作でした。来年には「あいちトリエンナーレ2013」や「瀬戸内国際芸術祭2013」に作品を出品する予定です。

—— 音楽のみならず、美術やダンスの世界でも活躍が続きますね。京都での演奏ははじめて?
 はい。京都市内で演奏をするのは初めてなので、とても楽しみです。京都芸術センターという元小学校のロケーションを生かした照明美術を予定しています。

—— 今回の演目『カント・オスティナート』はどのような曲?
 開演から2時間、同じ曲を演奏します。反復が続く曲なのですが、同じリズムの中に身を置くことでミニマル(ミニマル・ミュージック=音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽)が起こすある種のトランス状態のような感じになると思います。楽譜には約20分間の演奏が書かれているのですが、楽譜の中に繰り返しの部分/繰り返してはいけない部分が書かれていて、演奏者はどれだけ繰り返しをするかによって、演奏時間を決めることができます。通常は1時間半ぐらいで演奏されることが多いでしょうか。

—— 日本でこの曲が演奏されるのははじめて?
 オランダでは毎月どこかでこの曲のコンサートが開かれているほど大変有名な曲で、世界50カ国以上で演奏をされている曲です。ただ何故か日本では演奏されたことがありませんでした。作曲家のシミオン・テン・ホルト氏はオランダの現代音楽の作曲家で、1976年から79年にかけてこの曲を作曲しました。ところが、先月1125日に89歳でお亡くなりになられました。日本で今回この曲を演奏することを伝えたところ、大変喜ばれていたのですが。。ご冥福をお祈りしたいと思います。

—— 現代音楽というと“難しい”というイメージもありますが?
 「現代音楽」は苦手、という方にこそ聴いていただきたいコンサートです。とても親しみやすいメロディーとハーモニーで、奏法としてはショパンを思い出させるようなテクニックが使われています。しばらく聞いていると、まるで風景が移り変わっていくように、観客の心象風景が豊かに映し出されていくような曲です。また今回は、通常のコンサートの客席ではなく、会場の床に座布団などを敷いてリラックスして聞いていただこうと思っています。お客さんには、ヨガマットや寝袋、膝掛けなどをお持ちいただいて、寝転がって聞いていただいても良いなと思っています。

—— ジャン・カルマンさんによる照明の演出も気になるところですが?
 カルマンさんと話す中で、照明器具を使った舞台美術を予定しています。空間美術として、自宅にあるような卓上ランプやデスクライト、スタンドライトを使います。お客さんにもそういった照明器具をお持ちいただいて、インスタレーションに参加していただけたら、と考えています。

—— 共演者の田村響さんについてお聞かせください。
 田村さんの演奏を初めてアムステルダムで聴いた時は、音がとてもきれいで新鮮な驚きでした。音楽性も豊かで、日本のみならず、これからますます世界の舞台で活躍していかれる方だと思います。今回一緒に演奏したいと思い、お声がけしたところ、新しい20世紀の音楽は弾いたことがなくぜひ挑戦したいということで、実現しました。

—— 今回はピアノ・コンサートだけでなく『カント・オスティナート』のドキュメント映画も同時上映されるそうですね。
 はい。映画を通してさらにこの曲について知っていただける機会になると思います。昨年オランダの映画監督ラモン・ヒーリングによって製作された映画で、世界中の「カント・オスティナート」の愛聴者たちによるインタビューが中心になっています。もちろん映画の上映も日本初です。英語字幕のみになりますが、当日は簡単な日本語解説を配る予定です。

—— 向井山さんはジャンルを問わず、多くのアーティストと共同で作品を発表されています。その醍醐味とは?
 ピアニストは大きなピアノを前にずっと一人の作業が続く、孤独な職業とも言えます。そのため人と関わって作っていくことに喜びを感じるのかもしれません。共同でつくるときには、作品作りに対して妥協しない相手を選びます。お互い頑固に意見を言い合ってスムーズにはいかない、でも同時に、そこから生まれることを楽しむ“たゆみ”のある人、それによってアートのジャンルや領域を浸食していける人との作業が面白いですね。何も口出しせずに領域を囲ってしまうのは面白くないと思うんです。